2015年11月2日、用賀の街には、季節の変わり目を知らせる冷たい雨が降っていた。
風通りの良い駅前の広場では、突風がビュウビュウと音を立てて吹き荒れていて、私は肩をすくめながら歩いた。
隣を見ると田村さんが、買ったばかりのレインブーツを履いて、ウキウキと行進するように歩いている。
「これで雨の日も靴が濡れる心配がありません」と、彼は嬉しそうに私に話しかけた。
ここ最近の昼食は、いつも松乃家だった。
1週間ほど前までは、昼時になるとどちらかが「今日はどこにします?」という形式上の確認作業を行っていたのだが、いつの間にか二人とも無言で松乃家を目指し歩くようになっていた。
今日も何を打ち合わせるでもなく、駅前の円形階段を舐めるように歩き、いつもと同じコースで松乃家を目指した。
松野屋は、とても美味しかった。
今まで食べてきたトンカツの中でも最上位に位置する味とボリュームでありながら、かつ丼は驚愕の490円。更に、来店毎に配布されるサービス券を使用する事で、「ごはん大盛り」、「ミニサラダ」、「ソーセージ」のいずれかを無料で選ぶ事ができる。
私達は、この圧倒的コストパフォーマンスに従うしか無かった。
松野屋につくと、まだギリギリ、テーブル席が空いていた。私達は足早に「かつ丼券」を購入し、席についた。私達は食券とサービス券を差し出し、いつも通り、田村さんはミニサラダ、私はご飯大盛りをそれぞれ発注した。
「毎回サービス券を配るくらいなら、社員証みたいなカードを発行してくれればいいのに」と、田村さんは笑った。
暫くして、田村さんの頼んだ「かつ丼 ミニサラダセット」が運ばれてきた。しかし、いつもあるはずの新しいサービス券が、トレイの上に置いていなかった。
以前も同じ事があり、帰りに店員さんに発行してもらった事があったので、田村さんは「また帰りに言わないとな」と、ボソリと呟いた。
続いて、私の「かつ丼大盛り」が運ばれてきた。しかし、こちらにもサービス券が置かれていなかった。
店内はいつも通り客が溢れていたので、私は仕方が無いなと思い、かつ丼を食べ始めた。
私はかつ丼を食べ終え、田村さんのトレイを見ると、こちらにも空の器が並んでいた。
店内は相変わらず混雑していたので、私は「サービス券をもらって、もう出ましょうか」と、田村さんに話し、荷物をまとめ始めた。
しかし、田村さんはジッと店内を観察しながら、席を離れようとしなかった。
私が「どうしましたか?」と問いかけると、田村さんは神妙な顔つきで、こう答えた。
「たぶん、サービス券の配布、終了しましたね、、、」
その言葉を聞いて、私は、以前使わずに残っていた、財布の中のサービス券の事を思い出した。
有効期限がいつまでなのかを確認すべく、その券を財布から取り出すと、田村さんは「いいんです、僕の事は気にしないで」と早とちりの解答を僕に返した。
私が「いや、有効期限いつまでだったかなと思って、」と答えると、「あ、それなら11月30日までです」と即答した。
私は、「田村さんはこんなにもサービス券に深い思い入れがあったのか」と、何とも言えない寂しい気持ちになった。
二人が店を出ると、そこには季節の変わり目を知らせる冷たい雨が降っていた。